元気だったころの私は、医師や看護師・理学療法士・作業療法士など、医療に関する職を目指す学生を指導する講師でした。指導歴は35年。今回の大手術で職を辞すまでずっと医療にかかわる教育職を務めてきました。
自分の足で歩ける状態で、還暦を迎えたい。
これが、海綿状血管腫という遺伝病を持って生きてきた、私たち親族の夢でした。
同じ遺伝子を持っていた親族はみな、脳出血などで短い命を散らしていく。弟はまだ存命ですが、もう自立移動や意思疎通は非常に困難になっています。
この遺伝子を持ち、まだ自分の足で歩ける最後の人間。それが私です。
家族に脳血管系疾患の人間が非常に多かったので、医学書や論文などを読み、診察や入院の現場で、専門医とのやりとりを多く重ねてきました。自分が病を得てからは、さらに踏み込んで自分の身体に関する情報を集めています。
2025年2月10日、脊椎にあった海綿状血管腫を切除する手術を受けました。骨の中にあった血管腫が骨を割り、脊髄に巻き付き始めていたからです。場所は胸椎12番、T12と表記されます。
ここをやられると、太ももの付け根から先の機能が奪われます。排泄機能も同様です。
手術後は左足が上がらなくなり、尿線が細くなりました。体幹の筋肉か神経が弱り、背中を起こして歩くことが困難に。なんとかリハビリで歩行機能と体幹を起こす力は取り戻しました。その他の不具合は、薬の力で何とかなるか調整中です。
このブログは、手術した病院から転院し、リハビリを開始したところから書き始めたものです。
「将来は、外出は電動車椅子。家の中は壁をつたいながら歩ければいいよね」
そんな医師の言葉を聞き、ショックを力に変えて生きてきた日々の記録です。心を支えるために、日々の暮らしとはかけ離れた話を、エッセイ形式にしている日もあります。
闘病は、心の管理も含めて頭脳戦です。書くことで頭から余計なモノを追い出し、クリアになった頭で将来をじっと考えて生きてきました。
脊髄系の損傷は、リハビリの力が発揮されるのが大体8カ月ぐらいかな?と、リハビリ病院で言われました。なので、手術が2月だった私にとって、10月10日が丁度8カ月目にあたります。リハビリのための運動は、もちろん今後も続けていくわけですが、精神的なマイルストーンは、一応10月10日なんです。
リハビリ生活を支えてきたこのブログも、10月10日を一区切りとして、サイトリニューアルすることにしました。
ここを書き始めた頃はまだ入院中で、手元にあるタブレットで打ってましたから、サイトレイアウトが不十分でした。そろそろ本格的にブログの体裁を整えるため、自己紹介・サイトマップ・プライバシーポリシーなども付け加えていきます。
想い出は残しつつ、気持ちは日々、前を向かねばなりません。
ここには、還暦越えを目指してベッドで唸ってた手術後の私が残っています。そしてこれからは、あの時の苦しみを活かして今後をどう生きていくのかを記録する場所としたいと思っています。
病気を知識として教える仕事を長くやってきましたが、今の私はそこに実体験を載せて語ることができる立場になりました。家族全員が障害者手帳を持つ家庭の人間でしたから、医療職としてだけでなく、患者サイドの視点でも物を書いていこうと思っています。
お世話になった方への心からのメッセージはそのまま残しつつ、今後の暮らしを書き残す場所として、長く運営できればいいな。
まずは還暦越え。
そしてさらに、その先へ。